2006年12月07日

イースターラッフルとケーキ

2006年3月30日(木曜日)

イースター休暇まであと一日と迫った木曜日の午後、講堂では、イースターラッフルと(くじ)と、お母さん方が作ったケーキが売られた。

僕は、人がいっぱいいるところはいやだったが、ケーキにつられて、ママと一緒に行ってみた。

すでに、たくさんの人がいて、ケーキを買うために並んでいた。僕とママも並んだが、ちょっと様子がおかしい。

並んでいる場所が違った。ラッフルのチケットを買う列に並んでいたのだ。

もう、チケットは買っていたので、あわててケーキの列に並んだものの、なかなか順番が周ってこない。

そして、ようやくあと一人、と、迫ってきたときには、もうすでにケーキは一つもなくなっていた。

残念!

仕方なく、くじ引きが始まる時間までうろうろしながら待っていたが、それにも何も当たらなかった。

今回は、ちょとついてなかった。

でも、明日で学校も終わってイースター休暇に入る。僕はやったー!という気分だ。

ママも、イースター休暇明けには、いよいよ僕の場面緘黙症の治療も始まる予定。

そう思ったら、ケーキが買えなかったのも、ラッフルに当たらなかったのも、なんてことはなかった。

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2006年12月06日

Art Week テーマ、インド

2006年3月20日(月曜日)〜3月24日(金曜日)

この週は、インドをテーマとしたアートウィークで、いろいろな催し物があり、時間割も不規則であった。

いつもは、普段と違う事をすることが苦手な僕だが、金ぴかの服を来たダンサーが来て、踊りを見せてくれたり、インドのパン(ナン)の試食もあり、僕は結構楽しかった。

ダンサーが来た日は、家に帰ってママに,

[インドの人はハローはナマステイって言うんだって!] と手を胸の前で合わせながら言った。

「へー、そうなんだー、オラ君何でも知ってるね。」と何も知らないようなふりをして、ママは妙に感心した。

ママが、感心したのは、そのことを知っているかというよりも、ちゃんと見てきたことが頭に入っていて、それをママに教えてくれたこと。

また、別の日には、「今日オラ君インドのパン食べたよ!おいしかった!、ママも食べてみたら?」

「あら、そう?じゃあ、今度買い物に行ったら買ってみようね!」

と、あたかも、今までにナンを食べた事がないように振る舞い、次の日にスーパーから買ってきてくれた。

「インドのパン買ってきたよ!一緒に食べようね!」

「うん。おいしいーね。」
「うん、本当に、おいしいね。」

そんなんで、普段とは時間割が違っても僕はこのアートウイークが楽しかった。

そして、ハイライトは、金曜日のDressing Up Day!

保護者は3週間前から知らされていたので、今回は準備する期間が結構あったので、ママもすこしは余裕であった。

インターネットで、インドの子供の民族衣装をチェックし、ジャンパースカートとズボンを編む事にした。

しかし、できあがってみると、インドの衣装というよりは、クリスマスパーティー用の服みたいに仕上がった。しかも、ターバン用に用意したさらしは、巻いてみると、まるで包帯のようだ。

どうしよう。。もう時間はないし。。

そこで、ロンドンにいるバングラディッシュ出身の友達に助けを求め、ギリギリで、男の子用の服を送ってもらった。

ママが作った赤のラメ入りのニットのズボンに、友達から送ってもらったクリーム色のシャツとサロンをターバンの代わりに頭に巻いて、当日学校へと向かった。

女の子も男の子も、インドの民族衣装のようなものを着てきて、ママは、一体みんなどこから仕入れてきたんだろうと、そのアイディアに感心した。

圧巻だったのは、先生方のサリー姿。こちらの人は、顔だけ見るととても小さく、細そうに見えるが、実は、体は結構がっちりしている。だから、サリーもすごく良く似合っていた。先生達も、この日は楽しそうだった。

僕のも、まんざらではない。ちゃんとインドの子供のように見えた。

さすがに、インド象はいなかったが、今回は僕も誰にも追いかけられることなく、楽しく、アートウィークを締めくくる事が出来た。

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2006年12月01日

アセンブリー

2006年3月17日(金曜日)

この学期が始まってから、金曜日のアセンブリーで、クラスごとに劇や歌を保護者に披露していた。

そして、この日は、僕たちパープルクラスの番だった。

朝、学校に行き、子供達が教室に入ると、保護者達は、アセンブリーが行われる講堂に入り、用意されていた椅子に座って、僕たちが入場してくるのを待った。

他の子供達が先に入ってきて、全員落ち着くと、いよいよ僕たちの入場の番だ。

僕は、人がいっぱいだったので、ちょっと怖かったが、偶然にも、ママが僕の前にすわっていた。すぐ前ではなく、後ろの方だったが、ママの顔がよーく見えた。

片方の手の指を口にくわえ、もう片方の手で、ママに手を振った。ママも僕に手を振ってくれて、僕はすこし安心した。

僕のクラスの男の子が、「Welcome to our assembly!」

といってから、始まった。最初は、歌だ。

キャタピラー(青虫)の歌で、ママが良く見たら、僕が歌っているではないか!先生も気が付いた。

そして、はらぺこあおむしのお話から、青虫の一生の絵を描いたものを、卵から順に見せて行った。僕は、さなぎになる前の青虫。ちょっと恥ずかしいながらもちゃんと他のお友達と一緒に立って見せることが出来た。

そして、また歌を歌い。今度は、自分達が作った蝶々を見せた。これも、ちゃんとできた。

途中、途中で何人かの子供が、短い詩を朗読したりもしたが、僕は論外。そのときはママの所を見ながらおとなしく座っていた。

最後に、また、みんなで青虫の一生を披露して、僕たちのアセンブリーは終わった。

ママの心配、そして先生方の心配をよそに、僕はちゃんと歌も歌えたし、やらなければならない事は出来たので、みんな一安心。

僕も、ママが見えたので、安心したのと、うれしかったのとで、ちゃんとこなす事が出来たんだと思う。

すこしづつ、すこしづつ、僕も人前で何かをするのが怖くなくなって来ていた。
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2006年11月27日

スピーチセラピストとのミーティング

2006年3月9日(木曜日)

面談の時間が、3時からだったので、ママは、僕のお迎えを友達に頼んで、一人でクリニックに向かった。

僕抜きで、話がしたいとのこと。それは、僕の目標は、セラピストに話が出来るようになることではないし、僕が来たところで、何も話さないだろうということで、ママ一人呼ばれた。

面接で聞かれたことも、学校からスピーチセラピストへの報告をしたときに、Mrs Cと一緒に記入した質問の内容とほぼ同じようなものだったが、僕が生まれたときの様子なども聞かれた。妊娠、出産の時のトラブルもこの症状に関係するのかな?と、思いながら、ママはセラピストに話した。

僕がまだママのおなかにいた頃、僕の発達に異常なところがないか調べるスキャンの時に、腎臓から膀胱につながっている管の大きさ(直径)が標準より大きいということで、それから生まれるまで毎月スキャンを受けた。そして、僕が生まれてからもすぐに、スキャンで異常がないか調べてもらったが、僕が生まれたのは、昼間の12時57分で、もし、その検査をしなくても良かったら、その日のうちに家に帰ってもいいと言われた。 日本だったら最低一週間入院すると言うのに。こっちの人の体は強靭なのか?

その後も、僕の最初の3ヶ月間は、万が一、腎臓にばい菌がはいらないようにと、抗生物質を呑まなければならなかった。
注射器のようなもので、毎日、ママは、消毒をしたり、大変だった。

それと、僕の生まれたときのことで、引っかかる事があったのは、ママが、痛み止めを打ったのが、自分には効かず、僕に効いたらしい事。僕は、生まれた直後、泣かなかった。ヘロイン中毒患者のように、ぽわーんとした表情で、生まれてきた。

そんなことを話しながら、僕が赤ちゃんだった頃のことも思い出していた。

いつの頃から、人見知りが激しく、誰にもつかなくなったんだろうか?8ヶ月のときに日本に帰ったときは、もうその傾向が現れ、ママ以外の人にはなつかなかったなー。

それからは、ママはずーと僕にまとわり疲れ、へとへとの毎日だった。
幼稚園でも、僕が一人でいられるようになったのは、6ヶ月もかかったし、

あと、ママとパパの性格も聞かれた。ママは非社交的、パパは社交的、でも、小さい頃は、パパも恥ずかしがりやだったという。先生に質問されても積極的には手はあげなかったらしい。今では信じられない事だけど。

親から譲り受けた性格も関係するんだろう。

そして、最後にセラピストが、僕の症状は、場面緘黙症と、診断を下し、そこから、話がとんとんと進められていき、イースター休暇明けにに先生方が、コースに出席してから、Sliding-inというプログラムを始めることが、決定した。

ママが、週に何回か学校に行き、10-20分、ゲームなどをしながら僕と話をする。そして徐々に、TAが入ってきて、僕がTAにも話をするようになったら、ママは徐々に消えて行き、僕とTAだけのセッションとなり、そこからまた誰かが、入ってきて、話せる人が増えて、僕が学校でもちゃんとお話できるようにする、と言うプログラムらしかった。

幸いにも、ママは働いていないので、いつでも学校に行ける。

ママは、これで一歩前に進んだ気がして、不安ながらも、前向きな気持ちでクリニックを後にした。

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2006年11月22日

僕が賞をもらった。


2006年3月1日(水曜日)

この日は、家で育てていた鉢植えを学校に持っていくことになっていた。

11月に学校からもって帰ってきて、ちゃんと育っていれば、今頃水仙の花が咲いていただろうに、僕のはどうやら死んでしまったらしい。

クリスマスホリデーで、ロンドンに行ったときに、一週間家を空けた。
そのときにママが水をあげすぎたのが悪かったと思われる。そのまま、外においておけば大丈夫だったかも知れない。

しかし、今回学校に持って行く理由は、フラワーポットのデザインをするためなので、花が咲いたかどうかはさほど問題ではない。

直接、鉢にペイントするのかと思ったら。細長い紙が渡され、僕たちは思い思いの絵を描いた。

僕は、咲かなかった水仙の花を思い浮かべながら、黄色い花を、大小あわせて3つ描いて、葉っぱもつけた。

それが、意外な事に、僕の絵がクラスの男の子の中で一番になった。

表彰式も、今回は、僕はちゃんと微笑んで、プライズをもらえた。

プライズは、レインボーカラーの鉛筆3本と消しゴム。

以外にも、僕はアートの才能があるのかもしれないな。
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2006年11月14日

保護者面談2回目

2006年2月22日(水曜日)

ハーフターム休暇開けるとすぐに2回目の保護者面談があった。
ママは、この場で場面緘黙症のことを話してみようと、インターネットからの情報をプリントして、買った本も持参した。

今回はパパも一緒。僕はパパには英語で話すので、もしかしたらパパに話しているのを先生が聞けるかも知れないと思って、僕も一緒に連れてこられた。

僕たちが学校に行くと、廊下に僕のクラスの女の子2人と、その中の一人のお母さんが待っていた。もう一人の子供のお母さんは中で先生と話をしている。

僕は、何を思ったか、急に、学校の中にもかかわらず、他の子が居るにもかかわらず、大きな声で、パパに話し始めた。

側に居た子は、びっくり!

「オラ二オがしゃべってる!!!!!」

でも、そのこのお母さんは冷静に、

「オラ二オスはちゃんとしゃべれるのよ。」とだけ言って、何も大げさな事ではないように振舞い、読んでいた本に戻った。

女の子達は、まだ信じられない!というように僕を見ていたが、僕はそんなのお構い無しで、パパと本を読んだり、LEGOで遊んだり、挙句の果ては、ママにも英語で話しかけていた。ママもちょっと驚いて、英語も口からうまく出てこなかった。どうしたんだろう?

そうこうしているうちにママ達の番が来た。

僕も入れてもらえるかと思ったが、先生は、冷たく、子供達は外で待っているようにいっているんですよ。オラにオス一人で居られるわね。

と言い、パパもママも、僕を連れてきた理由を言う間もなく、僕は廊下で待たされる羽目に。

残念!僕がパパに英語でしゃべるところを先生にも聞いてもらいたかったのに。

ママは、僕がちゃんと一人でいられるか心配ながらも、教室の戸を閉めて、パパと中に入った。


2週間前にも、あって話したので、時に目新しいものはなかったが、先生は、僕をサポートするためのIndividual Education Plan なるものを作成したので、それをママとパパに読んでもらい、ママもパパもそれに同意してサインをした。

僕の問題点は、
* 学校でしゃべらない。
* 学校で、コミュニケーションを図ろうとしない。
* 英語が、第二言語。

次の目標
* 僕が学校内で先生や他の子供達と一緒にいることになれるように。
* 僕が、クラス全体、グループ、あるいは1対1のアクティビティーにもっと参加できるようにする。
* 出来るだけ僕のそばについて、僕が何をやらなければならないか、完全にわかるようにサポートする。

目標達成の方法
* 3人のアシスタントから、それぞれの小人数のグループで、サポートを受ける。
* 僕がアクティビテイーに参加したら、褒める。 ジェスチャーでのコミュニーケーションを僕のコミュニケションの手段だと認め、自信をつけさせるためにすべてのアクティビティーに参加させる。
* 絵カードを使うことを促す。指示されたことを僕がはっきりと理解できるまで、説明する。

話が一段落したときに、ママは場面緘黙症のことを切り出した。

すると、先生達は、知っているとのことで、イースター休暇開けには、場面緘黙症のコースにもいくというのだ。

しかし、詳しくは知らないというので、ママにTIPは何かと聞いてきた。

咄嗟に思いついたのは、

* 無理に話させることはしない。
* 小さなステップで徐々に話せるようにする。

等だけだったので、とりあえず持ってきた本とプリントを渡して、面談は終わった。

それにしても、廊下では、僕はあんなにべらべらしゃべったのに、先生にはまったく聞こえていなかったのは、ママとパパにとっては非常に残念だったに違いない。
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2006年11月09日

ハンプティー ダンプティー カフェ

2006年2月20日(月曜日)

ハーフターム休暇が終わり、また学校が始まった。

このハーフタームのテーマは卵だ。

そういうわけで、僕たちの教室に、ハンプティー ダンプティー カフェが作られた。

ここには一度に3人しか入れない。 僕もはいりたかったが、中に入りたい人は手を上げて先生に伝えなければならない。

その日は、だめだった。

家に帰って、

「オラ君も、ハンプティー ダンプティー カフェに入りたい。」

と、ママに訴えた。

「入りたかったら、入ればいいじゃない。」と、ちょっと冷たい返事。
「でも、3人しか入れないんだよ。」
「順番ではいれるよ。」
「でも.......」

こうこうしているうちに、ママはどっかへ行って、さっさと自分の仕事を始めてしまった。

僕は、どうしても、そのカフェに入りたかった。

次の日、また先生がカフェに入りたい人?と聞いてきた。
僕は、思い切って、でも、恐る恐る手を上げてみた。

他のお友達のように、元気に「はーい」と、手を上げたわけではないが、何と先生は気がついてくれた。 先生もすごく珍しいと思ったことだろう。

それで、僕も指名してくれて、他のお友達2人と一緒にカフェに入ることが出来た。

カフェでは、僕はお客さんになった。いつも面倒見てもらっているので、ここでもサービスされる役。

お茶とケーキ(もちろん、おもちゃの)を出されて、僕は満足。とても楽しかった。

思い切って、手を上げて本当によかった。

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2006年11月08日

ゴールデンルール

2006年2月10日(金曜日)

僕たちの学校にはゴールデンルールという決まりがある。 そのルールとは、

* 学校のゴールデンルールを守る
* みんなとなかよく、そして親切に
* 礼儀正しく、他の人を手助けする。
* 人の話は静かにして聴き、話すときも大きな声を出さない。
* 学校の器具や建物を大事にする
* 一生懸命勉強する

などを1週間守った子供が、2人づつ各クラスから選ばれて、金曜日のアセンブリーで賞をもらう。

その週は何と僕が選ばれた。僕は守った覚えはないが、先生も僕に自身を持たせるためにも、良かれと思って撰んでくれた。

ところが、それは悲劇に終わってしまった。

賞をもらうには、アセンブリーで全校生徒の前で名前を呼ばれ、前に出なくてはならない。

僕は、激しく抵抗した。泣いて泣いて嫌がった。アシスタントのMrs Sが僕の手を引いて側についてくれても泣き止まず、一応、ご褒美の小さい恐竜のおもちゃはもらってきたが、ゴールデンルールを守ったというバッチは、つけてもらった途端、契り取った。

僕は、そんな賞なんかいらない!

ひとの前に出て注目を浴びるなんて、怖くていやだった。

やれやれ、せっかくの先生達の気配りも台無しだった。

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2006年11月07日

緘黙症?

2006年2月6日(月曜日)

ママが電話で友達と話をしていたときに、その友達が、ママに緘黙症のことを教えてくれた。
友達が、日本から買ってきた育児者を見ていたときに、緘黙と言う欄に目が留まり、読んでみると、僕の症状に良く似ているとのこと。

ママは電話を切ると早速インターネットで調べてみた。

今まで緘黙なんて聞いた事もない言葉だったが、検索してみると結構出てきた。

その中のめぼしいものを撰んで、緘黙とはどういうものか読んでみると、僕の症状は、どうやら場面緘黙と言うのに限りなく近かった。英語での言葉も見つかった。

  Selective Mutism

その特徴を読んでみると、

* 家など、心地よい環境では、問題なく話が出来るが、特定の場所、特に学校などでは話さない。
* 話すこと意外でコニュ二ケーションを計ろうとする。(うなづいたり、指を指すなどして)
* トイレに行きたいことがいえなくて、お漏らしもしばしば起きる
* 学校が始まってから、少なくとも1ヶ月以上経ってもしゃべらない(最初の一ヶ月は、なれるための期間として含めない)
* 頑固で、反抗的。
 
等々が、僕に当てはまるもので、ママは、これだったんだー、と、ようやくなくなっていたジグゾーパズルのピースが埋まっていくような気がした。


そういえば、僕がナーサリーにやっと一人で居られるようになった頃、先生がこんなことを言っていた。

「オラ二オスは最近、顔の表情で、私たちとコミュニケーションをとるようになったんですよ。」
ママは、えっ、しゃべらないの?と疑問に思ったが、家ではしゃべっているし、特に何も思わず、「そうですか。だいぶなれてきたんですね。」
というような返事をしただけだった。

でも、あの時、もう少しこのことを問題視して、早く場面緘黙症かも知れないという事がわかっていれば……

あの時はまだ3歳半で、みんな、僕の事はすごい恥ずかしがりやで、大きくなるに連れてよくなってくるだろうとしか思っていなかった。

あのときに何とかしていれば…..

後悔はつのるばかりだが、僕はまだ5才2ヶ月。まだまだ十分に間に合う。しかも、たいていは学校が始まらないと発見できないとのこと。

気を取り直して、インターネットからの情報をプリントしたり、本もためらわずに注文して、場面緘黙症について勉強して、ハーフターム休暇開けの、保護者面談に備えることにした。
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2006年11月06日

ママが来ない!

2006年1月30日(月曜日)

僕の喉のインフェクションがうつったのか、パパも喉の痛みを訴えて、その日は仕事を休んだので、まだ、家にいた。

ま、たいしたこともなく、午後にはだいぶ良くなったので、車でママと僕を迎えに来てくれた。

時間がぎりぎりになってしまい、ママは学校の側の駐車場に着くと、急いで飛び出し、学校の校庭まで走った。パパは、車の中で待つことに..。

ママが、丁度着いたときに、先生がドアを開けて、子供達を外に出し始めた。

..良かった、間に合った..

ママは、ホッとした。

ところが、先生はママが来ていることに気がついているはずなのに、僕はなかなか出してはもらえず、おかしいなーと思っていると、またもや、ちょっと話があります。中に入ってくださいと言われた。

今度は何だろう?そう思いながらも、パパも駐車場で待っているので、呼んでも良いですか?と先生に聞くと、丁度良いので、パパが来るまで待ちましょうとの返事だった。ママはパパに携帯から電話して、先に教室に入った。

教室に入ると、僕が泣いていた。

先生が、なぜだかわからないんですが、急に泣き出してしまって..。私たちには何で泣いているのか教えてくれないので、聞いてもらえますか?とママに聞いてきた。

あれまー!

ママ「オラ君、何で泣いたの?」
僕 「.....」
ママ「どこかいたいの?」「誰かに意地悪されたの?」
僕は、首を振るだけ。でもすこし落ち着くと、ママに小さい声で言った。
  「ママが見えなかった。」

そこでママは、状況をすかさず察知して、先生が戸を開ける前にママが見えなかったから、来ないと思って泣いた事をわかってくれた。

僕はいつも、帰りの時間になると、外を見て、ママが来ているか確認していた。
ママはいつも早めに来て、僕はママを見つけると手を振っていた。

でも、今日は違った。
ママが、見えなかったのだ。そして、ママが来ないと思って心細くなって泣いてしまった。

 やれやれ...

ママが、そのことを先生に言うと、じゃあ、今度から遅れないように早めに来て、オラにオスがママはちゃんと迎えに来ると安心させてください時間と言われた。

 やれやれ... 

そうこうしているうちにパパが来た!

パパは、先生達を見るなり、「ハロー、ガールズ!」といきなり挨拶した。

先生方は、「おほほほほー」と笑って、中に入ってくださいと、パパを教室に入れたが、側で聞いていたママはどきどきだった。

先生に、ハローガールズ!はないだろう!

でも、先生も何も気にしていないみたいで、ママとパパに椅子に座るように勧めてくれた。

いつもの小人の椅子に、おしりが半分もはみ出しているのにもかかわらずパパも座った。

話とは、いつもと同じような事。

 しゃべらない
 ふらふら歩き回る
 女の子たちが、僕がしゃべらないので赤ちゃんのように扱って、靴を履かせ てくれたりして、面倒を見てくれるが、僕がそれを嫌がらずにやってもらっ ているので、止めなければならない。
  等々

この前の喉が痛い事件も、本当だったのか、疑っている様子で、
「本当に、喉が痛かったんですか?」と聞いてきた。

ママはすかさず、「はい、念のため医者に連れて行ったら、喉が赤く腫れていて、私も見ました。幸いにも、扁桃腺は腫れていなかったので、たいしたことはなかったんですが。」と、弁明した。

先生は、「私たちは、オラ二オスに腹を立てているわけではないんですよ。」

と、言ってはいたが、言われればいわれるほど、そうだ、といわれているようで、ママは、肩身が狭い思いがした。

ただ、数字に関しては、僕が他の子にはできない事が出来るからとほめてはくれていたので、救われたが。

とにかく、もうすぐ保護者面談があるので、詳しくは言いませんが、Readingも声を出さないので、評価できないとのことで、話は終わった。

教室を出て、車に乗り込むと、僕は途端に人が変わった様にしゃべりだした。

なぞは深まるばかり...。
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2006年11月05日

のどが痛い?

2006年1月27日(金曜日)

その日は、ママは朝からそわそわしていた。というのも、ママのドライビングレッスンの初日だったから。

予約は12時半。いったいどんなことをするんだろうと、緊張と不安で何も手がつかない。

いよいよ時間になって、教官が家に迎えに来た。

「車運転するのは初めて?」とだけ質問されて、「はい」というと、わかったというかのように、うなずいて、車を走らせ海岸沿いの静かな場所へ連れて行かれた。

ここは、教習所なるものなどない。

いろいろ車の動かし方や、中の機能などをひととおり説明されて、
「さあ、動かしてみましょう!」と来た。

えーーー!。

心の中ではものすごく動揺していたにもかかわらず、ママは言われるままに車のエンジンを入れて、震える手でハンドルを握り閉め、車を走らせた。

そのころ学校では何が起こっていたか、何も知らずに......



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2006年10月29日

Speech Therapist への報告(2)

2006年1月

家に帰って渡された書類に目を通すと、何だか様子がちょっと違う。

親への質問にしては、専門的すぎるし、学校での様子を聞かれているところもある。そんなこと先生から聞いた事ぐらいで、具体的にかけない。

ママは、とりあえず今後の目標を書く欄があったのでそこだけ書いた。

*僕が自信を持って、他の人々と言葉によるコミュニケーションを図れるようになること。

次の日の朝、早速先生にそのことを伝えると、先生はSENCOから渡されたものをそのまま渡したはずだが、もう一度確認して、放課後に伝えるとのこと。したがって、また僕とママは、学校が終わると教室に残らなければならなかった。

放課後、また教室に入ると、今度はMRS Cという、Speach&language をサポートしてくれる人がいて、紹介された。 

Mrs Cの名前はは僕がいつも口にしていて、ママも誰だろう?と思っていたところだった。あって見ると、校庭で待っているときによく見る人で、僕もMrs Cの姿を見るとかけよっていたので、顔だけは知っていた。

僕も彼女のグループでサポートを受けている。しかもMrs C はランチタイムのスーパーバイザーでもあるので、僕と接する時間は結構多い。
そういうわけで、僕もMrs Cにはかなり慣れていた。

僕の先生にMrs Cとここで一緒に記入してくださいと言われ、ママは一緒に机に座った。
保護者用の書類は、前のものとは違って、すごく具体的で親にしかわからない質問がいっぱいだった。

たとえば、僕が生まれたときに何か問題はなかったかとか、身長、体重。
もちろん、スピーチの発達の様子も。

僕が2歳頃から急におしゃべりになって、3歳にもターニングポイントがありさらに話が上手になったと言う事を話すと、側で聞いていた僕の先生が、

「じゃあ、他の子とかわらないわねー」とつぶやいた。
まだ、僕のスピーチが遅れていると思っていたらしい。

そんなこんなで、すべて記入し終えると、ママはMrs Cに聞いた。

ママ「スピーチセラピストに連絡が行ってからは、どうなるんですか?」

Mrs C「まず、向こうから、自宅に直接連絡が行って、多分最初はセラピストが、家に来ることになるでしょう。それからはクリニックで、遊びながら何らかの治療をすると思います。」

ママ「じゃあ、オラ二オスを学校から連れ出して、クリニックへ行かせるよ   うになるんですね。」

Mrs C「多分、そうなると思います。」

スピーチセラピーなんて、僕はちゃんと話が出来るのに、何で?

その頃ママは、スピーチセラピーは、スピーチに問題があるとか(たとえばどもり等)、スピーチの発達が遅れている子とかが受けるものだと思っていたので、とても落胆していた。

何か、腑に落ちない気持ちのまま、セラピストからの連絡を待っていた。



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2006年10月20日

Speech Therapist への報告(1)

2006年1月17日

僕の(大)の事件のあと、またすぐに、ママは先生に呼ばれた。

今度は、一体何? もう何がきても怖くない。ママは覚悟を決めて教室に入った。

僕のことで、いよいよ専門家の助けを借りることになったらしい。

先生は、SENCOから渡された書類をママに渡し、出来るだけ早く記入して持ってきて欲しいと、お願いした。

ちらちらと、書類に目を通して、ママは、明日もってきます、と言うと、先生はすごく心配そうな顔をして、大丈夫ですか?と聞いてきた。

何が?とママは思ったが、ママの喋りがいまいちだから、読み書きもむずかしいだろうと、思っての事だろう。

こんな簡単なアンケートですら、心配されるなんて、ママはそんなに自分の英語がだめなのか落胆した。

それと同時に、しゃべれないと、他の能力もひくく評価されるんだろうな、と僕のことと重ねながら、複雑な気持ちだった。

そして、教室には、Mrs MというSocial skill  を担当している人がいて、僕もその人のグループでサポートを受けていることを知らせれた。

そして、Mrs M とどうやってコミュニケーションをとっているかと言う事も見せてくれた。

教室には、2ヶ所に小さい四角のカードが何枚か張られていた。

それは、トイレ、砂場(遊びの時間)、お昼、などの絵が描かれている。それらを僕が指差して、意思を伝えるんだと言う。

実際に、Mrs Mが僕に、
「オラ二オスがトイレに行きたいときは、どれを指すの?」と聞いてきた。
僕は、みんなの目の前で、そんなこといやだったので「ママやってー」と、日本語で言って、ママの腕をつかんでマジックハンドのようにトイレカードを指差そうとした。
でも、Mrs Mは「オラにオスがやって」といい、僕の手を取った。

僕は片方の手の指を、口に入れて、もう片方の手の指で、トイレカードを指した。

僕が口に指を入れるのは、かなり緊張して、戸惑っている証拠。

ママは、そんな僕の姿を見て、胸が締め付けられるような、なんともいいがたい思いがした。

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2006年10月19日

迎えに来て下さい!(2)

ぎゃーーーーーーー!

そこには、泥沼が一面に広がっていた。昨日の全粒粉のパスタ、キーウィーの種、トマトの皮らしきものも......。

なんてこった! 

幸いにも、その日は日本から買ってきたおへそまで隠れるたっぷりとしたパンツをはいていたから、はみ出しはしなかったものの、それが、こっちのパンツだったら、と思ったら、ママはめまいがしてきた。

ママが、学校についてから、トイレに入るまでまったく臭わなかったのはなぜだろう?

とにかく、現実に戻って、ママは無言でBaby wipeをいっぱい使って僕をきれいにし始めた。パンツは当然、ナッピーサックに入れて、ゴミ箱行き。

拭いても、拭いても、なかなかきれいにならない。

ママが悪戦苦闘していると、携帯がなった。

「Mummy mummy, papa’s calling. Mummy mummy, papa’s calling....。」

パパからだ。パパからの電話のときは、僕の録音した声が鳴るようにしてある。

こんな間が悪いときに電話してくるパパを完全無視して、ママはぶっつり電話を切って、作業を続けた。

僕は、パパには知られたくなかったので、

「パパには、言わないでー」とママにお願いしたが、ママには聞こえなかった。いや、聞こえていたかも知れないが、ママは僕の後始末をするのに精一杯でそれどころではなかったのだと思う。

 なんてこったー、なんてこったー、心の中で呪文のように唱えていた。

やっと、どうにかきれいになって、学校の外へ出ると、もうお迎えの時間になっていた。

ママは、先生に一言「ご迷惑かけました。着替えさせたので、連れて帰ります。」と言うと、先生は、ちょっとむっとしたような表情で、わかりました、というようにうなづいただけだった。

ママは、後ろめたさでいっぱいになり、そのまま僕の手を引いて、そそくさと学校を後にした。

なんてこった!


posted by なんでさん at 13:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校生活 (Reception Year) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月11日

迎えに来て下さい!(1)

2006年1月12日(木曜日)

ママがそろそろ僕を迎えに出ようと準備を始めたとき、家の電話が鳴った。

「ハロー」

「あ、ハロー、こちらはOO学校の**です。オラ二オスが&&&なので迎えに来て下さいませんか?」

ママには僕が何をしたのかよく事情が飲み込めなかったので、もう一度聞き返すと、accident だというので、またかー、と思いつつも、

「わかりました。すぐ迎えに行きます。」とだけ告げて、電話を切った。

お漏らしだけで、何で呼び出すのか?
疑問に思ったが、もうすぐ帰る時間だから、学校で着替えさせるよりは、早めに来てもらって、連れて帰ってもらったほうが良いと思ったのだろう、ぐらいにしか思わず、学校に向かった。とりあえず着替えは持って。

学校に着いて、受付に、オラ二オスの母です、と告げると中に入れてもらえ、僕とアシスタントの先生も事務室の中から出てきた。

「すみません、ごめいわくかけて」とママが言うと、アシスタントの先生が、「着替えさせていきますか?」と聞いてきた。

寒空の中ぬれて帰るのも忍びないので、「ハイ」と答えると、トイレに案内された。

中には、思わぬものが...。
ベイビーワイプと、ナッピーサック、紙おむつまである。なんのために?
ナーサリーでもあるまいし、と、ママは不思議に思ったが、アシスタントの先生が、

「オラ二オスが一言、私たちに言ってくれれば、こんな事にはならなかったのに...。」

と、何だか僕がとんでもないことをしでかしたかの様に言った。
たかがおしっこぐらいで、大げさな...。
ママはまだことの重大さがわかっていなかった。

「本当にご迷惑かけてすみませんでした。」
とママがいうと、先生は教室に戻り、僕たちはトイレの中に入って鍵を閉めた。

さー、お着替えさんしようねー、とママが優しく言って、僕のズボンとパンツを下げると!!!!!

ぎゃーーーーーーー!声には出さなかったが、ママは、何で呼び出されたか、何でアシスタントの先生があんな事を言ったのか、ようやく理解できた。

それは...。
posted by なんでさん at 03:07| Comment(3) | TrackBack(0) | 学校生活 (Reception Year) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月02日

新学期

2006年1月3日(火曜日)

日本では、まだお正月休みでのんびりしているころだろうと言うのに、僕たちの学校は、さっさと始まった。 クリスマスが終われば、お正月はただの新しい年になる節目という事で1月1日は祝日だが、あとは何事もないように、カレンダー通りに始まっていく。

ママは、僕がクリスマスまでは以外にも学校を楽しんでいたし、休み中もすこしは外向的になってきたので、大丈夫だと思っていたが、すこし後退してしまったようだ。

最初の2週間で、おもらしが2回も。学校で取り替えてもらったのと、もう少しでママが迎えに来るのに、我慢できなくて、ぬれたまま、教室から出てきた。

それに、なんとなく学校も楽しくなくなった。クリスマスホリデーの間に、もう学校に行きたくなくなったし、僕がずーとしゃべらないので、学校側も何とかしなければ、と、いろいろ動き出して、僕はいやになってきた。

おもらしに関しては、僕が幼稚園に行っていた頃、一ヶ月日本に帰って、また戻ったときも、続いたし、ママを追って泣く事もあったが、慣れてくるとそれも無くなった。

なので、ママもしばらくしたら、またいつものペースに戻るだろうと高をくくっていた。

posted by なんでさん at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校生活 (Reception Year) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月21日

クリスマスパーティー

2005年12月15日(木曜日)

続々と行事が続く中、今日はクリスマスパーティーだった。

制服は無しで、寒くない程度にパーティー用の服で来ても良いとのこと。

男の子用のパーティー用の服は、なんとも難しい。しいて言えば、シャツにズボンで、すこし上品に見える程度か。

ママは僕に何が着たいか?聞いてきた。

僕の答えは、「スカート」

僕は、ガールズアラウドという女の子のバンドに夢中で、家では彼女達を真似て、パジャマの片足に両足を突っ込んで、ドレス代わりにして遊んでいた。

スカートが欲しいとねだった事もあって、ママは毛糸で、ジャンパースカートを編んでくれていた。

「何てこった。。。」 ママはちょっと困ったが、そのスカートのことを思い出した。

そのスカートを長いベストに見立て、シャツと、ズボンの上に着れば大丈夫と思い、早速それを着せてくれた。

なかなかかっこいい。そして、クリスマスらしく、胸の真ん中に小さいクリスマスリースをつけた。 これで完璧。

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posted by なんでさん at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校生活 (Reception Year) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月20日

クリスマスディナー

2005年12月14日(水曜日)

今日は待ちに待ったクリスマスディナーの日。

僕はいつもはお弁当を持っていくが、今日はお弁当の子供達も希望すれば給食が食べられる。

実に一ヶ月前にお知らせが来て、クリスマスディナーのメニューと共にお知らせが来た。

その日のメニューとは、

  Roast Turkey
  Bacon & Chipolata Roll
  Sage & Onion Stuffing
  Gravy
     OR
  Roasted Vegetable Christmas Parcel & Gravy

  Golden Roast & Creamed Potatoes
  Garden Peas
  Carrot Roundels

  Christmas Pudding & Sauce
     OR
  Christmas Cup Crunchy

んー、僕が嫌いな、にんじんの何とか、とか、グリンピースもあったが、僕は楽しみだった。
何てったってクリスマスだもん。

学校へはいつもと同じように制服を着ていき、お昼にはみんなが講堂に集まって、ディナーを食べた。

ママは僕がちゃんと何が欲しいかディナーレディーに伝えられるか心配だったが、選択肢はほとんどなかったので、ディナーレディーが指を指して、うなづくようにしてもそんなに手間がかからず、無事に食べ物をとることが出来た。

飲み物は、クリスマスということで、フルーツジュース(100%果汁じゃない)、レモネード、コーラ、のどれかを選ぶことが出来た。 僕は、レモネードとコーラと究極の選択に困ったが、最終的にレモネードに決めた。これも、僕の好きなテレビ番組のお話の一つにレモネードスタンドが出てきたから、こっちの方が飲みたくなった。僕はテレビの影響を受けやすい。

講堂も、クリスマス用にとても綺麗に飾られていた。

メインが終わるといったんお皿を片付けて、いよいよ、デザートの番。 

僕は迷わずにチョコレート(Christmas Cup Crunchy)のお菓子を選んだ。 いつもはチョコレートは学校に持ってきてはいけなかったので、ここぞとばかりに楽しんだ。 今日はお弁当の子も、特別にチョコレート等甘―ィお菓子を持って来てもよかった。みんな顔や手をべたべたにしながら喜んで食べた。

僕は始終無言だったが、クリスマスの音楽も静かに流れていて、このクリスマスディナーは楽しかった。

毎日チョコレーが食べられたらいいのにな。

これが僕の Christmas Wish だった。
posted by なんでさん at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校生活 (Reception Year) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月13日

クリスマスプレイ

クリスマス フェアが終わると、次の週は、僕達学校全体で、クリスマスの発表会なるものがあった。

2日間にわたって行われたが、どっちも同じことをやった。と言うのは、いっぺんに全学年の保護者達が講堂に入ることは不可能だったので、半分ずつに分けてやった。

初日は、僕達の学年とY1の一クラスだけ、2日目は残りのY1のクラスとY2全員の保護者が見に来た。

プレイは午後からで、初日の午前中には、何とサンタクロースが僕達の学校に、子供達からのプレゼントを集めに来た。 僕も使わなくなったおもちゃを綺麗に包んで持っていった。

何人かの子供達がツリーの下に置いてあったプレゼントをサンタクロースに渡した。僕からのプレゼントもちゃんとサンタクロースの袋に入って、ホッとした。

さー、お昼を食べていよいよクリスマスプレイの開始。

学校の正面玄関の入り口は1:45PMから開く予定だったので、パパとママは1:30PMくらいに行ったが、すでにたくさんの人が並んでいた。 ママ達の後からも次々と人が並んでいく。

ちゃんと見ることが出来るであろうか?ママはちょっと不安であったが、いざ中に入ってみると、黒山の人だかり(黒ばかりではないが)と言うほどではなくちゃんと椅子も用意してあり、余裕だった。

いよいよ、子供達が入場して来た。

まずは、僕達レセプションの子供達だ。ピンクとパープルのクラスから、選ばれた子供だけ、白いTシャツとショーツをはいて、リボンやフラフープを持って入場してきて講堂の真ん中に座った。 そして、その他大勢がぞろぞろと後に続いた。僕もその他大勢の一人。僕は出席番号が7番なので比較的早く入場した。

ホールにはいっぱい人がいた。
ふと、誰かが手を振っている気配がして横を向くとパパとママがいた。

僕は恥ずかしさとうれしさで、ちょっとはにかみながら、パパとママに手を振った。そして、入場が終わっても時々ママとパパの方をちらちらみていた。

校長先生の挨拶が終わると、いよいよ劇の開始。題は

”The Little Fir Tree”続きを読む
posted by なんでさん at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校生活 (Reception Year) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月16日

クリスマス フェア(2)

去年、ママは学校の下見もかねて、この学校のクリスマスフェアに僕を連れて来た。
僕は、ケーキが食べられるという事を聞かされて、それにつられて黙って付いてきた。

2時ちょっと前に学校に着き、学校の講堂に入れてもらうまで、校庭で待っていた。

しばらくすると、次々と教室の戸が開いて、子供達がいっせいに出てきた。僕はプッシュチェアーに乗っていたせいか、子供達も大きく見え、急に怖くなって泣き出してしまった。

ママは、「大丈夫、ケーキ買ったら帰ろうね」、と、何とか僕をなだめて中に入ろうとしたが、お菓子が大好きな僕でも、効き目がなく、一向に泣き止まない。

ママは仕方なく、「じゃあ、もうお家に帰ろうね」、と、ため息をつきながら家路についた。雪もちらつき始め、心も惨めになりながら、プッシュチェアーを押す力も弱々しい。 

もう少しで家に着くという時に、僕は、突然「ケーキー」と叫び出した。

もう人ごみから大分遠ざかったので、急にケーキを思い出したのだが、 今更遅い!とママに一言ぴしっと言われ、僕も泣いてしまった手前、何も言えず家に帰った。

ママは、僕を待っている間、そんなことを思い出していた。

今年は大丈夫だろうか?

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posted by なんでさん at 16:05| Comment(8) | TrackBack(0) | 学校生活 (Reception Year) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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