2006年11月27日

スピーチセラピストとのミーティング

2006年3月9日(木曜日)

面談の時間が、3時からだったので、ママは、僕のお迎えを友達に頼んで、一人でクリニックに向かった。

僕抜きで、話がしたいとのこと。それは、僕の目標は、セラピストに話が出来るようになることではないし、僕が来たところで、何も話さないだろうということで、ママ一人呼ばれた。

面接で聞かれたことも、学校からスピーチセラピストへの報告をしたときに、Mrs Cと一緒に記入した質問の内容とほぼ同じようなものだったが、僕が生まれたときの様子なども聞かれた。妊娠、出産の時のトラブルもこの症状に関係するのかな?と、思いながら、ママはセラピストに話した。

僕がまだママのおなかにいた頃、僕の発達に異常なところがないか調べるスキャンの時に、腎臓から膀胱につながっている管の大きさ(直径)が標準より大きいということで、それから生まれるまで毎月スキャンを受けた。そして、僕が生まれてからもすぐに、スキャンで異常がないか調べてもらったが、僕が生まれたのは、昼間の12時57分で、もし、その検査をしなくても良かったら、その日のうちに家に帰ってもいいと言われた。 日本だったら最低一週間入院すると言うのに。こっちの人の体は強靭なのか?

その後も、僕の最初の3ヶ月間は、万が一、腎臓にばい菌がはいらないようにと、抗生物質を呑まなければならなかった。
注射器のようなもので、毎日、ママは、消毒をしたり、大変だった。

それと、僕の生まれたときのことで、引っかかる事があったのは、ママが、痛み止めを打ったのが、自分には効かず、僕に効いたらしい事。僕は、生まれた直後、泣かなかった。ヘロイン中毒患者のように、ぽわーんとした表情で、生まれてきた。

そんなことを話しながら、僕が赤ちゃんだった頃のことも思い出していた。

いつの頃から、人見知りが激しく、誰にもつかなくなったんだろうか?8ヶ月のときに日本に帰ったときは、もうその傾向が現れ、ママ以外の人にはなつかなかったなー。

それからは、ママはずーと僕にまとわり疲れ、へとへとの毎日だった。
幼稚園でも、僕が一人でいられるようになったのは、6ヶ月もかかったし、

あと、ママとパパの性格も聞かれた。ママは非社交的、パパは社交的、でも、小さい頃は、パパも恥ずかしがりやだったという。先生に質問されても積極的には手はあげなかったらしい。今では信じられない事だけど。

親から譲り受けた性格も関係するんだろう。

そして、最後にセラピストが、僕の症状は、場面緘黙症と、診断を下し、そこから、話がとんとんと進められていき、イースター休暇明けにに先生方が、コースに出席してから、Sliding-inというプログラムを始めることが、決定した。

ママが、週に何回か学校に行き、10-20分、ゲームなどをしながら僕と話をする。そして徐々に、TAが入ってきて、僕がTAにも話をするようになったら、ママは徐々に消えて行き、僕とTAだけのセッションとなり、そこからまた誰かが、入ってきて、話せる人が増えて、僕が学校でもちゃんとお話できるようにする、と言うプログラムらしかった。

幸いにも、ママは働いていないので、いつでも学校に行ける。

ママは、これで一歩前に進んだ気がして、不安ながらも、前向きな気持ちでクリニックを後にした。

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2006年11月22日

僕が賞をもらった。


2006年3月1日(水曜日)

この日は、家で育てていた鉢植えを学校に持っていくことになっていた。

11月に学校からもって帰ってきて、ちゃんと育っていれば、今頃水仙の花が咲いていただろうに、僕のはどうやら死んでしまったらしい。

クリスマスホリデーで、ロンドンに行ったときに、一週間家を空けた。
そのときにママが水をあげすぎたのが悪かったと思われる。そのまま、外においておけば大丈夫だったかも知れない。

しかし、今回学校に持って行く理由は、フラワーポットのデザインをするためなので、花が咲いたかどうかはさほど問題ではない。

直接、鉢にペイントするのかと思ったら。細長い紙が渡され、僕たちは思い思いの絵を描いた。

僕は、咲かなかった水仙の花を思い浮かべながら、黄色い花を、大小あわせて3つ描いて、葉っぱもつけた。

それが、意外な事に、僕の絵がクラスの男の子の中で一番になった。

表彰式も、今回は、僕はちゃんと微笑んで、プライズをもらえた。

プライズは、レインボーカラーの鉛筆3本と消しゴム。

以外にも、僕はアートの才能があるのかもしれないな。
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2006年11月14日

保護者面談2回目

2006年2月22日(水曜日)

ハーフターム休暇開けるとすぐに2回目の保護者面談があった。
ママは、この場で場面緘黙症のことを話してみようと、インターネットからの情報をプリントして、買った本も持参した。

今回はパパも一緒。僕はパパには英語で話すので、もしかしたらパパに話しているのを先生が聞けるかも知れないと思って、僕も一緒に連れてこられた。

僕たちが学校に行くと、廊下に僕のクラスの女の子2人と、その中の一人のお母さんが待っていた。もう一人の子供のお母さんは中で先生と話をしている。

僕は、何を思ったか、急に、学校の中にもかかわらず、他の子が居るにもかかわらず、大きな声で、パパに話し始めた。

側に居た子は、びっくり!

「オラ二オがしゃべってる!!!!!」

でも、そのこのお母さんは冷静に、

「オラ二オスはちゃんとしゃべれるのよ。」とだけ言って、何も大げさな事ではないように振舞い、読んでいた本に戻った。

女の子達は、まだ信じられない!というように僕を見ていたが、僕はそんなのお構い無しで、パパと本を読んだり、LEGOで遊んだり、挙句の果ては、ママにも英語で話しかけていた。ママもちょっと驚いて、英語も口からうまく出てこなかった。どうしたんだろう?

そうこうしているうちにママ達の番が来た。

僕も入れてもらえるかと思ったが、先生は、冷たく、子供達は外で待っているようにいっているんですよ。オラにオス一人で居られるわね。

と言い、パパもママも、僕を連れてきた理由を言う間もなく、僕は廊下で待たされる羽目に。

残念!僕がパパに英語でしゃべるところを先生にも聞いてもらいたかったのに。

ママは、僕がちゃんと一人でいられるか心配ながらも、教室の戸を閉めて、パパと中に入った。


2週間前にも、あって話したので、時に目新しいものはなかったが、先生は、僕をサポートするためのIndividual Education Plan なるものを作成したので、それをママとパパに読んでもらい、ママもパパもそれに同意してサインをした。

僕の問題点は、
* 学校でしゃべらない。
* 学校で、コミュニケーションを図ろうとしない。
* 英語が、第二言語。

次の目標
* 僕が学校内で先生や他の子供達と一緒にいることになれるように。
* 僕が、クラス全体、グループ、あるいは1対1のアクティビティーにもっと参加できるようにする。
* 出来るだけ僕のそばについて、僕が何をやらなければならないか、完全にわかるようにサポートする。

目標達成の方法
* 3人のアシスタントから、それぞれの小人数のグループで、サポートを受ける。
* 僕がアクティビテイーに参加したら、褒める。 ジェスチャーでのコミュニーケーションを僕のコミュニケションの手段だと認め、自信をつけさせるためにすべてのアクティビティーに参加させる。
* 絵カードを使うことを促す。指示されたことを僕がはっきりと理解できるまで、説明する。

話が一段落したときに、ママは場面緘黙症のことを切り出した。

すると、先生達は、知っているとのことで、イースター休暇開けには、場面緘黙症のコースにもいくというのだ。

しかし、詳しくは知らないというので、ママにTIPは何かと聞いてきた。

咄嗟に思いついたのは、

* 無理に話させることはしない。
* 小さなステップで徐々に話せるようにする。

等だけだったので、とりあえず持ってきた本とプリントを渡して、面談は終わった。

それにしても、廊下では、僕はあんなにべらべらしゃべったのに、先生にはまったく聞こえていなかったのは、ママとパパにとっては非常に残念だったに違いない。
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2006年11月09日

ハンプティー ダンプティー カフェ

2006年2月20日(月曜日)

ハーフターム休暇が終わり、また学校が始まった。

このハーフタームのテーマは卵だ。

そういうわけで、僕たちの教室に、ハンプティー ダンプティー カフェが作られた。

ここには一度に3人しか入れない。 僕もはいりたかったが、中に入りたい人は手を上げて先生に伝えなければならない。

その日は、だめだった。

家に帰って、

「オラ君も、ハンプティー ダンプティー カフェに入りたい。」

と、ママに訴えた。

「入りたかったら、入ればいいじゃない。」と、ちょっと冷たい返事。
「でも、3人しか入れないんだよ。」
「順番ではいれるよ。」
「でも.......」

こうこうしているうちに、ママはどっかへ行って、さっさと自分の仕事を始めてしまった。

僕は、どうしても、そのカフェに入りたかった。

次の日、また先生がカフェに入りたい人?と聞いてきた。
僕は、思い切って、でも、恐る恐る手を上げてみた。

他のお友達のように、元気に「はーい」と、手を上げたわけではないが、何と先生は気がついてくれた。 先生もすごく珍しいと思ったことだろう。

それで、僕も指名してくれて、他のお友達2人と一緒にカフェに入ることが出来た。

カフェでは、僕はお客さんになった。いつも面倒見てもらっているので、ここでもサービスされる役。

お茶とケーキ(もちろん、おもちゃの)を出されて、僕は満足。とても楽しかった。

思い切って、手を上げて本当によかった。

posted by なんでさん at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校生活 (Reception Year) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月08日

ゴールデンルール

2006年2月10日(金曜日)

僕たちの学校にはゴールデンルールという決まりがある。 そのルールとは、

* 学校のゴールデンルールを守る
* みんなとなかよく、そして親切に
* 礼儀正しく、他の人を手助けする。
* 人の話は静かにして聴き、話すときも大きな声を出さない。
* 学校の器具や建物を大事にする
* 一生懸命勉強する

などを1週間守った子供が、2人づつ各クラスから選ばれて、金曜日のアセンブリーで賞をもらう。

その週は何と僕が選ばれた。僕は守った覚えはないが、先生も僕に自身を持たせるためにも、良かれと思って撰んでくれた。

ところが、それは悲劇に終わってしまった。

賞をもらうには、アセンブリーで全校生徒の前で名前を呼ばれ、前に出なくてはならない。

僕は、激しく抵抗した。泣いて泣いて嫌がった。アシスタントのMrs Sが僕の手を引いて側についてくれても泣き止まず、一応、ご褒美の小さい恐竜のおもちゃはもらってきたが、ゴールデンルールを守ったというバッチは、つけてもらった途端、契り取った。

僕は、そんな賞なんかいらない!

ひとの前に出て注目を浴びるなんて、怖くていやだった。

やれやれ、せっかくの先生達の気配りも台無しだった。

posted by なんでさん at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校生活 (Reception Year) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月07日

緘黙症?

2006年2月6日(月曜日)

ママが電話で友達と話をしていたときに、その友達が、ママに緘黙症のことを教えてくれた。
友達が、日本から買ってきた育児者を見ていたときに、緘黙と言う欄に目が留まり、読んでみると、僕の症状に良く似ているとのこと。

ママは電話を切ると早速インターネットで調べてみた。

今まで緘黙なんて聞いた事もない言葉だったが、検索してみると結構出てきた。

その中のめぼしいものを撰んで、緘黙とはどういうものか読んでみると、僕の症状は、どうやら場面緘黙と言うのに限りなく近かった。英語での言葉も見つかった。

  Selective Mutism

その特徴を読んでみると、

* 家など、心地よい環境では、問題なく話が出来るが、特定の場所、特に学校などでは話さない。
* 話すこと意外でコニュ二ケーションを計ろうとする。(うなづいたり、指を指すなどして)
* トイレに行きたいことがいえなくて、お漏らしもしばしば起きる
* 学校が始まってから、少なくとも1ヶ月以上経ってもしゃべらない(最初の一ヶ月は、なれるための期間として含めない)
* 頑固で、反抗的。
 
等々が、僕に当てはまるもので、ママは、これだったんだー、と、ようやくなくなっていたジグゾーパズルのピースが埋まっていくような気がした。


そういえば、僕がナーサリーにやっと一人で居られるようになった頃、先生がこんなことを言っていた。

「オラ二オスは最近、顔の表情で、私たちとコミュニケーションをとるようになったんですよ。」
ママは、えっ、しゃべらないの?と疑問に思ったが、家ではしゃべっているし、特に何も思わず、「そうですか。だいぶなれてきたんですね。」
というような返事をしただけだった。

でも、あの時、もう少しこのことを問題視して、早く場面緘黙症かも知れないという事がわかっていれば……

あの時はまだ3歳半で、みんな、僕の事はすごい恥ずかしがりやで、大きくなるに連れてよくなってくるだろうとしか思っていなかった。

あのときに何とかしていれば…..

後悔はつのるばかりだが、僕はまだ5才2ヶ月。まだまだ十分に間に合う。しかも、たいていは学校が始まらないと発見できないとのこと。

気を取り直して、インターネットからの情報をプリントしたり、本もためらわずに注文して、場面緘黙症について勉強して、ハーフターム休暇開けの、保護者面談に備えることにした。
posted by なんでさん at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校生活 (Reception Year) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月06日

ママが来ない!

2006年1月30日(月曜日)

僕の喉のインフェクションがうつったのか、パパも喉の痛みを訴えて、その日は仕事を休んだので、まだ、家にいた。

ま、たいしたこともなく、午後にはだいぶ良くなったので、車でママと僕を迎えに来てくれた。

時間がぎりぎりになってしまい、ママは学校の側の駐車場に着くと、急いで飛び出し、学校の校庭まで走った。パパは、車の中で待つことに..。

ママが、丁度着いたときに、先生がドアを開けて、子供達を外に出し始めた。

..良かった、間に合った..

ママは、ホッとした。

ところが、先生はママが来ていることに気がついているはずなのに、僕はなかなか出してはもらえず、おかしいなーと思っていると、またもや、ちょっと話があります。中に入ってくださいと言われた。

今度は何だろう?そう思いながらも、パパも駐車場で待っているので、呼んでも良いですか?と先生に聞くと、丁度良いので、パパが来るまで待ちましょうとの返事だった。ママはパパに携帯から電話して、先に教室に入った。

教室に入ると、僕が泣いていた。

先生が、なぜだかわからないんですが、急に泣き出してしまって..。私たちには何で泣いているのか教えてくれないので、聞いてもらえますか?とママに聞いてきた。

あれまー!

ママ「オラ君、何で泣いたの?」
僕 「.....」
ママ「どこかいたいの?」「誰かに意地悪されたの?」
僕は、首を振るだけ。でもすこし落ち着くと、ママに小さい声で言った。
  「ママが見えなかった。」

そこでママは、状況をすかさず察知して、先生が戸を開ける前にママが見えなかったから、来ないと思って泣いた事をわかってくれた。

僕はいつも、帰りの時間になると、外を見て、ママが来ているか確認していた。
ママはいつも早めに来て、僕はママを見つけると手を振っていた。

でも、今日は違った。
ママが、見えなかったのだ。そして、ママが来ないと思って心細くなって泣いてしまった。

 やれやれ...

ママが、そのことを先生に言うと、じゃあ、今度から遅れないように早めに来て、オラにオスがママはちゃんと迎えに来ると安心させてください時間と言われた。

 やれやれ... 

そうこうしているうちにパパが来た!

パパは、先生達を見るなり、「ハロー、ガールズ!」といきなり挨拶した。

先生方は、「おほほほほー」と笑って、中に入ってくださいと、パパを教室に入れたが、側で聞いていたママはどきどきだった。

先生に、ハローガールズ!はないだろう!

でも、先生も何も気にしていないみたいで、ママとパパに椅子に座るように勧めてくれた。

いつもの小人の椅子に、おしりが半分もはみ出しているのにもかかわらずパパも座った。

話とは、いつもと同じような事。

 しゃべらない
 ふらふら歩き回る
 女の子たちが、僕がしゃべらないので赤ちゃんのように扱って、靴を履かせ てくれたりして、面倒を見てくれるが、僕がそれを嫌がらずにやってもらっ ているので、止めなければならない。
  等々

この前の喉が痛い事件も、本当だったのか、疑っている様子で、
「本当に、喉が痛かったんですか?」と聞いてきた。

ママはすかさず、「はい、念のため医者に連れて行ったら、喉が赤く腫れていて、私も見ました。幸いにも、扁桃腺は腫れていなかったので、たいしたことはなかったんですが。」と、弁明した。

先生は、「私たちは、オラ二オスに腹を立てているわけではないんですよ。」

と、言ってはいたが、言われればいわれるほど、そうだ、といわれているようで、ママは、肩身が狭い思いがした。

ただ、数字に関しては、僕が他の子にはできない事が出来るからとほめてはくれていたので、救われたが。

とにかく、もうすぐ保護者面談があるので、詳しくは言いませんが、Readingも声を出さないので、評価できないとのことで、話は終わった。

教室を出て、車に乗り込むと、僕は途端に人が変わった様にしゃべりだした。

なぞは深まるばかり...。
posted by なんでさん at 20:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校生活 (Reception Year) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月05日

のどが痛い?

2006年1月27日(金曜日)

その日は、ママは朝からそわそわしていた。というのも、ママのドライビングレッスンの初日だったから。

予約は12時半。いったいどんなことをするんだろうと、緊張と不安で何も手がつかない。

いよいよ時間になって、教官が家に迎えに来た。

「車運転するのは初めて?」とだけ質問されて、「はい」というと、わかったというかのように、うなずいて、車を走らせ海岸沿いの静かな場所へ連れて行かれた。

ここは、教習所なるものなどない。

いろいろ車の動かし方や、中の機能などをひととおり説明されて、
「さあ、動かしてみましょう!」と来た。

えーーー!。

心の中ではものすごく動揺していたにもかかわらず、ママは言われるままに車のエンジンを入れて、震える手でハンドルを握り閉め、車を走らせた。

そのころ学校では何が起こっていたか、何も知らずに......



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posted by なんでさん at 15:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校生活 (Reception Year) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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